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日常の一コマや感じたこと。 偏見に満ちたオタク発言とか 二次創作発言などが極めて多し。 良く分からないと言う方は、回れ右推奨です。
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何時の間にやらカウンターがキリ番過ぎてる。
あれー、もしかして自分で踏んだかな?(爆)
まぁ良いや(いい加減)


さてさて。
未だにやってくる気配のない本に、枕を涙で濡らしつつ。
だらだらと、家久さんについて語ってみようと思います(ぇ)
と言っても、本の感想っつーか。
『咆哮!島津十字』の家久さんと、
かいこさんの家久さんについてですが。

家久さんは、何て言うか……鉄砲玉か花火のような人ですね。
いきなり何て感想だ
潔いというか、潔すぎるというか。
「軍略の家久」って言われるくらいだから、戦こそ命な人なんじゃないかと。
天下太平の時代には、自分は生きれないってことを知ってた人。
末っ子だからこそ、そういうところも甘えん坊なんじゃないかな。
「あとは兄ちゃん達に任せた!」なところがあるっつーか。
だから末っ子なのに一番最初に死んでしまったんじゃないかなぁ…とか思う。
いや、病死だったらば、そうは言えないけれども。
むしろ無念だったやもしれないけれど。
そもそも関ヶ原の結末(=息子・豊久の壮絶な戦死)を知ってたら、
何が何でも生き抜いて、自分が行ったんじゃないだろうか。
や、知ってたらって言い方はおかしいんだけど。
つまり、家久さんが「もう秀吉の世には戦なんてねーな」と悲観することは
なかったんだろうなぁと。
ついでに言えば、秀吉の異国出兵にだって、義弘さんじゃなくて
家久さんが行ってたかもしんなくて。
そうなると其処で久保さん(義弘の子。義久の娘・亀寿の旦那さん)も
死ぬことは無くて、義久の後を継いで……って。
歴史に「もしも」を持ってくるのは、無意味って分かってるけども。
それでも家久さんの望む「何か」はあったんじゃないかしら。

まぁ、最近の有力説らしい病死だったら。
此処に書いてることこそ無意味なんですけどね(苦笑)

とにかく。
ワタクシは島津四兄弟が大好きです。
たったこの一文の為に、なんてダラダラと駄文をつづっているのか
好きすぎると思考能力著しく低下。
だってもう家久さん素敵なんだもの…!
上洛した時の日記が激しく読みたい。
信長見かけて「すげー」ってなってる様とか。
光秀に接待受けて、心なしかキャッキャッしてる様子とか。
そういう家久さんを、凄く愛でたい( ̄▽ ̄)
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