日常の一コマや感じたこと。
偏見に満ちたオタク発言とか
二次創作発言などが極めて多し。
良く分からないと言う方は、回れ右推奨です。
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お墓参りが済んだので、今度は歴史資料館でもある鶴松館へ。
此処は佐土原小前で降りると近いです。
バス停一つ分だし、歩こうかな…とも思ったのですが。
気温30℃近く、既に汗ダラダラ。――ぶっちゃけ、辛い。
丁度良い時間のがあれば乗ろう、と時刻表を見ると。
運よく2、3分くらいすればくる模様。これも御利益か。
「きっと家久さんが守ってくれるのね」と妄想発動。
…頭がとても幸せな人です。>自分
実際乗ってみると、一つ分でも結構な距離だったので
やっぱり乗った方が賢明かもしれないです。特に夏は(笑)
鶴松館は、佐土原二代目藩主の忠興さんが現在の場所に
移した奴を復元して建てた資料館らしいです。
此処で言う二代目は、前島津に対して後島津というんだそうで。
初代の以久(ゆきひさ)さんは、家久さんの従兄弟です。
関ヶ原で壮絶な最期を遂げた豊久さんですが、
子が居なかったために居城と領地を、家康に没収されます。
暫くは家康の家臣が此処を治めていましたが、後に以久さんが
初代佐土原藩主に任命されます。以後、佐土原島津として
明治まで残ったようですね。
ぶっちゃけ、家久・豊久親子萌えでやってきた私なぞは
外道も良いところなのですが…。まぁ、其処はそれ。
折角なので楽しみたいと思って。
「佐土原城址」というでっかい立て看板に導かれて(笑)
やっていた鶴松館。――駐車場、広っ(笑)
建物の鬼がわらには島津十字が。…もうね、島津十字だけで
家久さんを想って泣ける(バカ…)
門をくぐると、流石に平日の昼間だけあって、客は僕一人(笑)
「こんにちは」と事務所の方が声をかけてくださって、嬉しいv
「宜しかったら御説明しましょうか?」と申し出てくださりましたよ。
佐土原の方はほんとに優しいなぁ…。
図々しく「折角だからお願いします」と乗る私。…ほんと厚かましいな(汗)
展示してある佐土原人形や、殿様が座る「黄金の間」と呼ばれる部屋。
婚礼の際に立てられていたという、金銀屏風とかの説明を丁寧に
していただきました。
近代だと皇室とも御縁が深く、皇室ゆかりの品なんかも見れて満足v
銀でできた金平糖入れが、可愛すぎたv
――んで。
此処まで来たからには、第二のメイン。佐土原城の本丸跡に行きたい。
とはいえ、もともと佐土原城は山城なので。当然、本丸は山の上にある。
ブログ何かを読むと「ちょっとした登山」とか書いてあるので不安。
ましてや山の中を、仮にも女一人が行って良いものだろうか(--;)
でも折角来たんだし、どうしても行ってみたいので。
先ほどの事務の方に訊ねると
「そんなにキツくないですよ。…ただ、ちょっと入口がぬかるんでるようですが」
――とのこと。15分くらいで行けるらしい。
無料で貸してくださる竹の杖をお供に、早速行ってみることに。
三つほどルートがあるらしいけれど、どれを行っても時間は変わらないらしい。
私が行ったのは、鶴松館の裏を通って行く登城路。
入口までは案内してもらったので、あとは標識通りに行けば良いとのこと。
さっそく行くぜ!
確かにぬかるんでる入口を通り抜けると、すぐにあらわれるのが、
わりと勾配がキツく、狭い上り階段と、曲がりくねった山道。
説明書きによると、敵が攻めてきた時、このうえから石を落としたり
矢を射かけたりして防御したそうな。確かにこの狭さと急勾配では、
大軍は動けないし、ましてや先に進むのも難儀だろう。
守りやすく攻めにくい城です。流石に。
途中何箇所か、滑りやすくてヒヤっとしたものの。
15分ちょっとで本丸跡に到着しました!
さほどしんどくは無いです。女の足でも充分登れます。
――が。
一人で登るのは、いろんな意味でちょっと険呑です(※お前が言うか?)
なので、いらっしゃる方(特に女性)は、二人以上で行った方が良いかと。
私の場合は運良く、私より先に近所の保育園児たちが(遠足だったのかな?)
登って行ったらしいので(笑)そういう意味で安全確認できましたが。
本丸跡は、ぶっちゃけ何もないです。
「佐土原城本丸跡」っていう標が立っているくらいで、たんなる野っぱらです。
360度、木と孟宗竹に囲まれていて景色も見えません。
それでも、ロマンだけは充分に感じました。
そもそも本丸は戦の時だけ詰める場所であって。
普段は麓の屋敷で生活していたそうなので、四六時中、家久さん親子が
此処に居たわけじゃありません。
ですが。
少なくとも第二次高城合戦後、追撃してくる秀吉軍に佐土原城を包囲された時は
此処に籠っていたでしょう。当時17、18でお父さんの傍に仕えていた豊久さんも
一緒になって活路をさがしていたかもしれない。
耳川の合戦の時には、義久さんが佐土原に着陣しています。となれば当然、
義久さんも(暫くとはいえ)此処に籠って戦の指揮を執ったことでしょう。
関ヶ原の敗走後、義弘さんは佐土原城を訊ねているらしいですし、もしかしたら
本丸に足を踏み入れたかもしれない。
――そう考えると、此処に。この空間に彼らが居たんだと思えて。
感慨深いと言うか、切ないと言うか。
「此処にいらしたんですね、中書さぁ(中書様の意。ちゅうしょ、は家久さんのこと)」
…と。思わず呟いてました。
暑いし汗だくだけど、吹く風は涼しくて気持ちいい。
多分この風も、見上げる空も。当時とそんなに変わらないんじゃないか。
――そんな気がしました。
降りてきて、丁度其処にいらした地元の方と、少しおしゃべり。
少し涼しい頃にくれば良かったかも、なんて言うと
「涼しい方が、マムシは活発になるよ」とのこと。
…確かに「マムシ注意」の張り紙、たくさんあったな…。
マムシ対策と史跡保護の為にも。
草むしりとか手入れとか。
そーゆーのにもっと力入れてください宮崎市!(切実)
行きたいところも行って、これにて佐土原詣は終了。
帰る頃には、めっちゃ汗ダラダラで。
「どこの山姥?」状態でしたが、満足した一日でしたv
いつ完成かはちょっと忘れましたが、どうやら鶴松館の近くに
城の駅なるものが出来るらしい。
その頃に、また来たいなぁ。改装中かなんかで、もうひとつの
資料館は見れなかったし(^^;)
これに味をしめて、今度は木城町(新納院高城があった処)にも
行ってみたいな。高城で高城合戦に思いをはせたい。
大友軍相手に籠城し通した高城。前島津を語る上では
外せまいよ!(笑)
あと鹿児島にも行きたい。…こっちは流石に
「ほいよっ!」ってわけにはいかないが(^^;)
写真(しょっぼいの)も、アップできたらするかも。
此処は佐土原小前で降りると近いです。
バス停一つ分だし、歩こうかな…とも思ったのですが。
気温30℃近く、既に汗ダラダラ。――ぶっちゃけ、辛い。
丁度良い時間のがあれば乗ろう、と時刻表を見ると。
運よく2、3分くらいすればくる模様。これも御利益か。
「きっと家久さんが守ってくれるのね」と妄想発動。
…頭がとても幸せな人です。>自分
実際乗ってみると、一つ分でも結構な距離だったので
やっぱり乗った方が賢明かもしれないです。特に夏は(笑)
鶴松館は、佐土原二代目藩主の忠興さんが現在の場所に
移した奴を復元して建てた資料館らしいです。
此処で言う二代目は、前島津に対して後島津というんだそうで。
初代の以久(ゆきひさ)さんは、家久さんの従兄弟です。
関ヶ原で壮絶な最期を遂げた豊久さんですが、
子が居なかったために居城と領地を、家康に没収されます。
暫くは家康の家臣が此処を治めていましたが、後に以久さんが
初代佐土原藩主に任命されます。以後、佐土原島津として
明治まで残ったようですね。
ぶっちゃけ、家久・豊久親子萌えでやってきた私なぞは
外道も良いところなのですが…。まぁ、其処はそれ。
折角なので楽しみたいと思って。
「佐土原城址」というでっかい立て看板に導かれて(笑)
やっていた鶴松館。――駐車場、広っ(笑)
建物の鬼がわらには島津十字が。…もうね、島津十字だけで
家久さんを想って泣ける(バカ…)
門をくぐると、流石に平日の昼間だけあって、客は僕一人(笑)
「こんにちは」と事務所の方が声をかけてくださって、嬉しいv
「宜しかったら御説明しましょうか?」と申し出てくださりましたよ。
佐土原の方はほんとに優しいなぁ…。
図々しく「折角だからお願いします」と乗る私。…ほんと厚かましいな(汗)
展示してある佐土原人形や、殿様が座る「黄金の間」と呼ばれる部屋。
婚礼の際に立てられていたという、金銀屏風とかの説明を丁寧に
していただきました。
近代だと皇室とも御縁が深く、皇室ゆかりの品なんかも見れて満足v
銀でできた金平糖入れが、可愛すぎたv
――んで。
此処まで来たからには、第二のメイン。佐土原城の本丸跡に行きたい。
とはいえ、もともと佐土原城は山城なので。当然、本丸は山の上にある。
ブログ何かを読むと「ちょっとした登山」とか書いてあるので不安。
ましてや山の中を、仮にも女一人が行って良いものだろうか(--;)
でも折角来たんだし、どうしても行ってみたいので。
先ほどの事務の方に訊ねると
「そんなにキツくないですよ。…ただ、ちょっと入口がぬかるんでるようですが」
――とのこと。15分くらいで行けるらしい。
無料で貸してくださる竹の杖をお供に、早速行ってみることに。
三つほどルートがあるらしいけれど、どれを行っても時間は変わらないらしい。
私が行ったのは、鶴松館の裏を通って行く登城路。
入口までは案内してもらったので、あとは標識通りに行けば良いとのこと。
さっそく行くぜ!
確かにぬかるんでる入口を通り抜けると、すぐにあらわれるのが、
わりと勾配がキツく、狭い上り階段と、曲がりくねった山道。
説明書きによると、敵が攻めてきた時、このうえから石を落としたり
矢を射かけたりして防御したそうな。確かにこの狭さと急勾配では、
大軍は動けないし、ましてや先に進むのも難儀だろう。
守りやすく攻めにくい城です。流石に。
途中何箇所か、滑りやすくてヒヤっとしたものの。
15分ちょっとで本丸跡に到着しました!
さほどしんどくは無いです。女の足でも充分登れます。
――が。
一人で登るのは、いろんな意味でちょっと険呑です(※お前が言うか?)
なので、いらっしゃる方(特に女性)は、二人以上で行った方が良いかと。
私の場合は運良く、私より先に近所の保育園児たちが(遠足だったのかな?)
登って行ったらしいので(笑)そういう意味で安全確認できましたが。
本丸跡は、ぶっちゃけ何もないです。
「佐土原城本丸跡」っていう標が立っているくらいで、たんなる野っぱらです。
360度、木と孟宗竹に囲まれていて景色も見えません。
それでも、ロマンだけは充分に感じました。
そもそも本丸は戦の時だけ詰める場所であって。
普段は麓の屋敷で生活していたそうなので、四六時中、家久さん親子が
此処に居たわけじゃありません。
ですが。
少なくとも第二次高城合戦後、追撃してくる秀吉軍に佐土原城を包囲された時は
此処に籠っていたでしょう。当時17、18でお父さんの傍に仕えていた豊久さんも
一緒になって活路をさがしていたかもしれない。
耳川の合戦の時には、義久さんが佐土原に着陣しています。となれば当然、
義久さんも(暫くとはいえ)此処に籠って戦の指揮を執ったことでしょう。
関ヶ原の敗走後、義弘さんは佐土原城を訊ねているらしいですし、もしかしたら
本丸に足を踏み入れたかもしれない。
――そう考えると、此処に。この空間に彼らが居たんだと思えて。
感慨深いと言うか、切ないと言うか。
「此処にいらしたんですね、中書さぁ(中書様の意。ちゅうしょ、は家久さんのこと)」
…と。思わず呟いてました。
暑いし汗だくだけど、吹く風は涼しくて気持ちいい。
多分この風も、見上げる空も。当時とそんなに変わらないんじゃないか。
――そんな気がしました。
降りてきて、丁度其処にいらした地元の方と、少しおしゃべり。
少し涼しい頃にくれば良かったかも、なんて言うと
「涼しい方が、マムシは活発になるよ」とのこと。
…確かに「マムシ注意」の張り紙、たくさんあったな…。
マムシ対策と史跡保護の為にも。
草むしりとか手入れとか。
そーゆーのにもっと力入れてください宮崎市!(切実)
行きたいところも行って、これにて佐土原詣は終了。
帰る頃には、めっちゃ汗ダラダラで。
「どこの山姥?」状態でしたが、満足した一日でしたv
いつ完成かはちょっと忘れましたが、どうやら鶴松館の近くに
城の駅なるものが出来るらしい。
その頃に、また来たいなぁ。改装中かなんかで、もうひとつの
資料館は見れなかったし(^^;)
これに味をしめて、今度は木城町(新納院高城があった処)にも
行ってみたいな。高城で高城合戦に思いをはせたい。
大友軍相手に籠城し通した高城。前島津を語る上では
外せまいよ!(笑)
あと鹿児島にも行きたい。…こっちは流石に
「ほいよっ!」ってわけにはいかないが(^^;)
写真(しょっぼいの)も、アップできたらするかも。
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