日常の一コマや感じたこと。
偏見に満ちたオタク発言とか
二次創作発言などが極めて多し。
良く分からないと言う方は、回れ右推奨です。
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相変わらず時間見つけてはプレイ中です、太閤立志伝。
つか。
つか、又兵衛さんが居る!!!!(゚▽゚)!!!!
ちょ、何このIKEMEN!!めっちゃ美形!(落ち着け)
しかも秀吉が40代なので、まだ又兵衛さんは20代ですよ!?
この若くてカッコいい顔で三十路、四十路になるとは。
おいしいぜ又兵衛…!(黙れ)
いつのまにやら織田家に仕官していたので、
のぶのぶに「くれよ!又兵衛くれよ!」と懇願。
いいよ、と快くくれたのでご機嫌vv
おまけに安土の町で、何故か牢人してた(笑)大谷さんも
「うちにおいで!みったん居るからうちにおいで!」と
茶会をし、貢物をして口説き落としたよ( ̄▽ ̄)
半兵衛、官兵衛、又兵衛、吉継の軍師四人衆。
うひょう!テンションあがるぜ!!(だから落ち着け)
今、うちの秀吉めっちゃ弱い(※武芸の才能が皆無/爆)んだが、
騙し騙し又兵衛を打ち負かし(笑)、主人公札もゲットv
ほほほ、余は満足じゃvvv
あと1年もせずに1582年を迎えるので、本気で胃が痛い(汗)
ちょっとね、のぶのぶが愛しくなってきたもんで。
…まぁ、敵になったら。多分にイラつくんだろうけど(^^;)
でもこののぶのぶ、ふつーに優しいんだよぅ(笑)
出来ることなら、守ってあげたいです。金柑から(苦笑)
…でもこの金柑、結構イケメンなんだよな(笑)
ええ、イケメンに弱いですよ。
なので忠勝(この人もカッコいい/笑)も好きv
つか。
つか、又兵衛さんが居る!!!!(゚▽゚)!!!!
ちょ、何このIKEMEN!!めっちゃ美形!(落ち着け)
しかも秀吉が40代なので、まだ又兵衛さんは20代ですよ!?
この若くてカッコいい顔で三十路、四十路になるとは。
おいしいぜ又兵衛…!(黙れ)
いつのまにやら織田家に仕官していたので、
のぶのぶに「くれよ!又兵衛くれよ!」と懇願。
いいよ、と快くくれたのでご機嫌vv
おまけに安土の町で、何故か牢人してた(笑)大谷さんも
「うちにおいで!みったん居るからうちにおいで!」と
茶会をし、貢物をして口説き落としたよ( ̄▽ ̄)
半兵衛、官兵衛、又兵衛、吉継の軍師四人衆。
うひょう!テンションあがるぜ!!(だから落ち着け)
今、うちの秀吉めっちゃ弱い(※武芸の才能が皆無/爆)んだが、
騙し騙し又兵衛を打ち負かし(笑)、主人公札もゲットv
ほほほ、余は満足じゃvvv
あと1年もせずに1582年を迎えるので、本気で胃が痛い(汗)
ちょっとね、のぶのぶが愛しくなってきたもんで。
…まぁ、敵になったら。多分にイラつくんだろうけど(^^;)
でもこののぶのぶ、ふつーに優しいんだよぅ(笑)
出来ることなら、守ってあげたいです。金柑から(苦笑)
…でもこの金柑、結構イケメンなんだよな(笑)
ええ、イケメンに弱いですよ。
なので忠勝(この人もカッコいい/笑)も好きv
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某サイトさんのに影響されて(影響ほんと受けやすいんです)
今プレイしてます。
『太閤立志伝5』を。
…シリーズの1~4もやってないのに。
いきなり5から。だってPSPだし…(5だけじゃないだろ)
コツがつかめないので、理解できないことが多すぎます。
しかも頭が悪いので、技術習得のミニゲームが本当にできません。
算術とか医術とか。
算数・数学要素が強すぎて、瞬時に計算できないんだよう…。
礼法に至っては、ミニゲームの趣旨が未だに理解できない。
なにあれ?9×9で埋めろってどゆこと?無理じゃね(お前にはな)
軍学は、もうあれです。
教師の半兵衛さん(超IKEMEN)に
「これは……もうどうしようもありませんね」――的な事を言われる始末。
うわぁああん!(泣き逃げ)
鉄砲も馬術も。足軽も皆嫌いだーっ!
でも茶道と忍術と鉱山。それに開墾は結構好きv
暗記系統は大丈夫なのさ。
出雲の阿国が可愛すぎて死ぬ…。
色々あって、最初に選んだ主人公。服部半蔵が嫁にしました( ̄▽ ̄)
途中で秀吉プレイに乗り換えちゃったけど(ヲイ)
データは取ってあるし大丈夫。いつでも会えるよ、阿国たんvv
早くオリジナル武将主人公でやりたいぜ。
勿論、主家は島津家でやるよ。
島津四兄弟と同僚さ。うへへ(きもい)
できるもんなら(詳しく解からんので、あくまで仮定)、
四兄弟+新日斎様+貴久パパの嫁にもなってやる(笑)
野望だけは、一丁前だと実感する今日この頃。
今プレイしてます。
『太閤立志伝5』を。
…シリーズの1~4もやってないのに。
いきなり5から。だってPSPだし…(5だけじゃないだろ)
コツがつかめないので、理解できないことが多すぎます。
しかも頭が悪いので、技術習得のミニゲームが本当にできません。
算術とか医術とか。
算数・数学要素が強すぎて、瞬時に計算できないんだよう…。
礼法に至っては、ミニゲームの趣旨が未だに理解できない。
なにあれ?9×9で埋めろってどゆこと?無理じゃね(お前にはな)
軍学は、もうあれです。
教師の半兵衛さん(超IKEMEN)に
「これは……もうどうしようもありませんね」――的な事を言われる始末。
うわぁああん!(泣き逃げ)
鉄砲も馬術も。足軽も皆嫌いだーっ!
でも茶道と忍術と鉱山。それに開墾は結構好きv
暗記系統は大丈夫なのさ。
出雲の阿国が可愛すぎて死ぬ…。
色々あって、最初に選んだ主人公。服部半蔵が嫁にしました( ̄▽ ̄)
途中で秀吉プレイに乗り換えちゃったけど(ヲイ)
データは取ってあるし大丈夫。いつでも会えるよ、阿国たんvv
早くオリジナル武将主人公でやりたいぜ。
勿論、主家は島津家でやるよ。
島津四兄弟と同僚さ。うへへ(きもい)
できるもんなら(詳しく解からんので、あくまで仮定)、
四兄弟+新日斎様+貴久パパの嫁にもなってやる(笑)
野望だけは、一丁前だと実感する今日この頃。
此処に写真を貼れなかったので(※やり方が悪い)
サイトの方に、写真をアップ。
期間限定で置いておくことにしますー。
多分今年いっぱいは置いてると思う。
いい加減なんで、いつまでって決められない。
何事もノリと気分次第(ダメじゃん)
面白味もない写真ですが、楽しんでいただければ幸い。
サイトの方に、写真をアップ。
期間限定で置いておくことにしますー。
多分今年いっぱいは置いてると思う。
いい加減なんで、いつまでって決められない。
何事もノリと気分次第(ダメじゃん)
面白味もない写真ですが、楽しんでいただければ幸い。
お墓参りが済んだので、今度は歴史資料館でもある鶴松館へ。
此処は佐土原小前で降りると近いです。
バス停一つ分だし、歩こうかな…とも思ったのですが。
気温30℃近く、既に汗ダラダラ。――ぶっちゃけ、辛い。
丁度良い時間のがあれば乗ろう、と時刻表を見ると。
運よく2、3分くらいすればくる模様。これも御利益か。
「きっと家久さんが守ってくれるのね」と妄想発動。
…頭がとても幸せな人です。>自分
実際乗ってみると、一つ分でも結構な距離だったので
やっぱり乗った方が賢明かもしれないです。特に夏は(笑)
鶴松館は、佐土原二代目藩主の忠興さんが現在の場所に
移した奴を復元して建てた資料館らしいです。
此処で言う二代目は、前島津に対して後島津というんだそうで。
初代の以久(ゆきひさ)さんは、家久さんの従兄弟です。
関ヶ原で壮絶な最期を遂げた豊久さんですが、
子が居なかったために居城と領地を、家康に没収されます。
暫くは家康の家臣が此処を治めていましたが、後に以久さんが
初代佐土原藩主に任命されます。以後、佐土原島津として
明治まで残ったようですね。
ぶっちゃけ、家久・豊久親子萌えでやってきた私なぞは
外道も良いところなのですが…。まぁ、其処はそれ。
折角なので楽しみたいと思って。
「佐土原城址」というでっかい立て看板に導かれて(笑)
やっていた鶴松館。――駐車場、広っ(笑)
建物の鬼がわらには島津十字が。…もうね、島津十字だけで
家久さんを想って泣ける(バカ…)
門をくぐると、流石に平日の昼間だけあって、客は僕一人(笑)
「こんにちは」と事務所の方が声をかけてくださって、嬉しいv
「宜しかったら御説明しましょうか?」と申し出てくださりましたよ。
佐土原の方はほんとに優しいなぁ…。
図々しく「折角だからお願いします」と乗る私。…ほんと厚かましいな(汗)
展示してある佐土原人形や、殿様が座る「黄金の間」と呼ばれる部屋。
婚礼の際に立てられていたという、金銀屏風とかの説明を丁寧に
していただきました。
近代だと皇室とも御縁が深く、皇室ゆかりの品なんかも見れて満足v
銀でできた金平糖入れが、可愛すぎたv
――んで。
此処まで来たからには、第二のメイン。佐土原城の本丸跡に行きたい。
とはいえ、もともと佐土原城は山城なので。当然、本丸は山の上にある。
ブログ何かを読むと「ちょっとした登山」とか書いてあるので不安。
ましてや山の中を、仮にも女一人が行って良いものだろうか(--;)
でも折角来たんだし、どうしても行ってみたいので。
先ほどの事務の方に訊ねると
「そんなにキツくないですよ。…ただ、ちょっと入口がぬかるんでるようですが」
――とのこと。15分くらいで行けるらしい。
無料で貸してくださる竹の杖をお供に、早速行ってみることに。
三つほどルートがあるらしいけれど、どれを行っても時間は変わらないらしい。
私が行ったのは、鶴松館の裏を通って行く登城路。
入口までは案内してもらったので、あとは標識通りに行けば良いとのこと。
さっそく行くぜ!
確かにぬかるんでる入口を通り抜けると、すぐにあらわれるのが、
わりと勾配がキツく、狭い上り階段と、曲がりくねった山道。
説明書きによると、敵が攻めてきた時、このうえから石を落としたり
矢を射かけたりして防御したそうな。確かにこの狭さと急勾配では、
大軍は動けないし、ましてや先に進むのも難儀だろう。
守りやすく攻めにくい城です。流石に。
途中何箇所か、滑りやすくてヒヤっとしたものの。
15分ちょっとで本丸跡に到着しました!
さほどしんどくは無いです。女の足でも充分登れます。
――が。
一人で登るのは、いろんな意味でちょっと険呑です(※お前が言うか?)
なので、いらっしゃる方(特に女性)は、二人以上で行った方が良いかと。
私の場合は運良く、私より先に近所の保育園児たちが(遠足だったのかな?)
登って行ったらしいので(笑)そういう意味で安全確認できましたが。
本丸跡は、ぶっちゃけ何もないです。
「佐土原城本丸跡」っていう標が立っているくらいで、たんなる野っぱらです。
360度、木と孟宗竹に囲まれていて景色も見えません。
それでも、ロマンだけは充分に感じました。
そもそも本丸は戦の時だけ詰める場所であって。
普段は麓の屋敷で生活していたそうなので、四六時中、家久さん親子が
此処に居たわけじゃありません。
ですが。
少なくとも第二次高城合戦後、追撃してくる秀吉軍に佐土原城を包囲された時は
此処に籠っていたでしょう。当時17、18でお父さんの傍に仕えていた豊久さんも
一緒になって活路をさがしていたかもしれない。
耳川の合戦の時には、義久さんが佐土原に着陣しています。となれば当然、
義久さんも(暫くとはいえ)此処に籠って戦の指揮を執ったことでしょう。
関ヶ原の敗走後、義弘さんは佐土原城を訊ねているらしいですし、もしかしたら
本丸に足を踏み入れたかもしれない。
――そう考えると、此処に。この空間に彼らが居たんだと思えて。
感慨深いと言うか、切ないと言うか。
「此処にいらしたんですね、中書さぁ(中書様の意。ちゅうしょ、は家久さんのこと)」
…と。思わず呟いてました。
暑いし汗だくだけど、吹く風は涼しくて気持ちいい。
多分この風も、見上げる空も。当時とそんなに変わらないんじゃないか。
――そんな気がしました。
降りてきて、丁度其処にいらした地元の方と、少しおしゃべり。
少し涼しい頃にくれば良かったかも、なんて言うと
「涼しい方が、マムシは活発になるよ」とのこと。
…確かに「マムシ注意」の張り紙、たくさんあったな…。
マムシ対策と史跡保護の為にも。
草むしりとか手入れとか。
そーゆーのにもっと力入れてください宮崎市!(切実)
行きたいところも行って、これにて佐土原詣は終了。
帰る頃には、めっちゃ汗ダラダラで。
「どこの山姥?」状態でしたが、満足した一日でしたv
いつ完成かはちょっと忘れましたが、どうやら鶴松館の近くに
城の駅なるものが出来るらしい。
その頃に、また来たいなぁ。改装中かなんかで、もうひとつの
資料館は見れなかったし(^^;)
これに味をしめて、今度は木城町(新納院高城があった処)にも
行ってみたいな。高城で高城合戦に思いをはせたい。
大友軍相手に籠城し通した高城。前島津を語る上では
外せまいよ!(笑)
あと鹿児島にも行きたい。…こっちは流石に
「ほいよっ!」ってわけにはいかないが(^^;)
写真(しょっぼいの)も、アップできたらするかも。
此処は佐土原小前で降りると近いです。
バス停一つ分だし、歩こうかな…とも思ったのですが。
気温30℃近く、既に汗ダラダラ。――ぶっちゃけ、辛い。
丁度良い時間のがあれば乗ろう、と時刻表を見ると。
運よく2、3分くらいすればくる模様。これも御利益か。
「きっと家久さんが守ってくれるのね」と妄想発動。
…頭がとても幸せな人です。>自分
実際乗ってみると、一つ分でも結構な距離だったので
やっぱり乗った方が賢明かもしれないです。特に夏は(笑)
鶴松館は、佐土原二代目藩主の忠興さんが現在の場所に
移した奴を復元して建てた資料館らしいです。
此処で言う二代目は、前島津に対して後島津というんだそうで。
初代の以久(ゆきひさ)さんは、家久さんの従兄弟です。
関ヶ原で壮絶な最期を遂げた豊久さんですが、
子が居なかったために居城と領地を、家康に没収されます。
暫くは家康の家臣が此処を治めていましたが、後に以久さんが
初代佐土原藩主に任命されます。以後、佐土原島津として
明治まで残ったようですね。
ぶっちゃけ、家久・豊久親子萌えでやってきた私なぞは
外道も良いところなのですが…。まぁ、其処はそれ。
折角なので楽しみたいと思って。
「佐土原城址」というでっかい立て看板に導かれて(笑)
やっていた鶴松館。――駐車場、広っ(笑)
建物の鬼がわらには島津十字が。…もうね、島津十字だけで
家久さんを想って泣ける(バカ…)
門をくぐると、流石に平日の昼間だけあって、客は僕一人(笑)
「こんにちは」と事務所の方が声をかけてくださって、嬉しいv
「宜しかったら御説明しましょうか?」と申し出てくださりましたよ。
佐土原の方はほんとに優しいなぁ…。
図々しく「折角だからお願いします」と乗る私。…ほんと厚かましいな(汗)
展示してある佐土原人形や、殿様が座る「黄金の間」と呼ばれる部屋。
婚礼の際に立てられていたという、金銀屏風とかの説明を丁寧に
していただきました。
近代だと皇室とも御縁が深く、皇室ゆかりの品なんかも見れて満足v
銀でできた金平糖入れが、可愛すぎたv
――んで。
此処まで来たからには、第二のメイン。佐土原城の本丸跡に行きたい。
とはいえ、もともと佐土原城は山城なので。当然、本丸は山の上にある。
ブログ何かを読むと「ちょっとした登山」とか書いてあるので不安。
ましてや山の中を、仮にも女一人が行って良いものだろうか(--;)
でも折角来たんだし、どうしても行ってみたいので。
先ほどの事務の方に訊ねると
「そんなにキツくないですよ。…ただ、ちょっと入口がぬかるんでるようですが」
――とのこと。15分くらいで行けるらしい。
無料で貸してくださる竹の杖をお供に、早速行ってみることに。
三つほどルートがあるらしいけれど、どれを行っても時間は変わらないらしい。
私が行ったのは、鶴松館の裏を通って行く登城路。
入口までは案内してもらったので、あとは標識通りに行けば良いとのこと。
さっそく行くぜ!
確かにぬかるんでる入口を通り抜けると、すぐにあらわれるのが、
わりと勾配がキツく、狭い上り階段と、曲がりくねった山道。
説明書きによると、敵が攻めてきた時、このうえから石を落としたり
矢を射かけたりして防御したそうな。確かにこの狭さと急勾配では、
大軍は動けないし、ましてや先に進むのも難儀だろう。
守りやすく攻めにくい城です。流石に。
途中何箇所か、滑りやすくてヒヤっとしたものの。
15分ちょっとで本丸跡に到着しました!
さほどしんどくは無いです。女の足でも充分登れます。
――が。
一人で登るのは、いろんな意味でちょっと険呑です(※お前が言うか?)
なので、いらっしゃる方(特に女性)は、二人以上で行った方が良いかと。
私の場合は運良く、私より先に近所の保育園児たちが(遠足だったのかな?)
登って行ったらしいので(笑)そういう意味で安全確認できましたが。
本丸跡は、ぶっちゃけ何もないです。
「佐土原城本丸跡」っていう標が立っているくらいで、たんなる野っぱらです。
360度、木と孟宗竹に囲まれていて景色も見えません。
それでも、ロマンだけは充分に感じました。
そもそも本丸は戦の時だけ詰める場所であって。
普段は麓の屋敷で生活していたそうなので、四六時中、家久さん親子が
此処に居たわけじゃありません。
ですが。
少なくとも第二次高城合戦後、追撃してくる秀吉軍に佐土原城を包囲された時は
此処に籠っていたでしょう。当時17、18でお父さんの傍に仕えていた豊久さんも
一緒になって活路をさがしていたかもしれない。
耳川の合戦の時には、義久さんが佐土原に着陣しています。となれば当然、
義久さんも(暫くとはいえ)此処に籠って戦の指揮を執ったことでしょう。
関ヶ原の敗走後、義弘さんは佐土原城を訊ねているらしいですし、もしかしたら
本丸に足を踏み入れたかもしれない。
――そう考えると、此処に。この空間に彼らが居たんだと思えて。
感慨深いと言うか、切ないと言うか。
「此処にいらしたんですね、中書さぁ(中書様の意。ちゅうしょ、は家久さんのこと)」
…と。思わず呟いてました。
暑いし汗だくだけど、吹く風は涼しくて気持ちいい。
多分この風も、見上げる空も。当時とそんなに変わらないんじゃないか。
――そんな気がしました。
降りてきて、丁度其処にいらした地元の方と、少しおしゃべり。
少し涼しい頃にくれば良かったかも、なんて言うと
「涼しい方が、マムシは活発になるよ」とのこと。
…確かに「マムシ注意」の張り紙、たくさんあったな…。
マムシ対策と史跡保護の為にも。
草むしりとか手入れとか。
そーゆーのにもっと力入れてください宮崎市!(切実)
行きたいところも行って、これにて佐土原詣は終了。
帰る頃には、めっちゃ汗ダラダラで。
「どこの山姥?」状態でしたが、満足した一日でしたv
いつ完成かはちょっと忘れましたが、どうやら鶴松館の近くに
城の駅なるものが出来るらしい。
その頃に、また来たいなぁ。改装中かなんかで、もうひとつの
資料館は見れなかったし(^^;)
これに味をしめて、今度は木城町(新納院高城があった処)にも
行ってみたいな。高城で高城合戦に思いをはせたい。
大友軍相手に籠城し通した高城。前島津を語る上では
外せまいよ!(笑)
あと鹿児島にも行きたい。…こっちは流石に
「ほいよっ!」ってわけにはいかないが(^^;)
写真(しょっぼいの)も、アップできたらするかも。
ついに。――ついに、行ってきました!
佐土原へ!!
本当は15日(関ヶ原:豊久さん命日)に行きたかったんですけども…。
天気予報を見ると雨の様ですし。台風の影響も怖かったので
無理くり平日にぶっこみました。
ええ、愛の為ならちょっとくらい無理しますよ。ははは…( ̄▽ ̄)
そんなわけで、感想と思い出を刻みます(笑)
長くなるのでいくつかに分けますね。
本日は天気良好。
起床5時半でもめげませんよ。ちゃんと起きました(爽微笑)
や、車で行ければいいんですが、運転に自信が無いので
バスにて行くことに。
でもそうなると、6時51分のに乗らないとダメなんですよね。
時間的猶予も考えて。
8時45分宮交シティ発、西都行きのバスに乗車予定。
時刻表通りなら8時28分着なので、余裕余裕。
…しかし。
こんな朝早い便であっても、5分遅れてきたバス。
今後の予定を考えると、ちょっと不安が脳裏をかすめました。
最初に行くのが天昌寺跡。
家久さん、豊久さん、家久夫人、家久母堂のお墓と、
関ヶ原で戦死した方のお墓があるのです。
お宅(違)の佐土原城に行くのだから、まずは御挨拶するのが
礼儀だろう――そう思ったので、最初は此処をチョイス。
その際、「手ぶらで行くのもなんかなぁ…」と思った私。
「花だと枯れた後の処置に困るだろう。――そうだ!家久さんは
きっと酒豪だから(※9/7の日記参照)、お酒にしよう!」
それでワンカップの焼酎を買っていくことに。
しかも出来るだけ故郷に近いのが良かろうと、都城で作ってるやつを。
「それなら中身だけ捧げて、空のカップは持って帰ればいい。
ゴミも出ないし一石二鳥(^▽^)」
そこでバスの待ち時間を利用して、買っていこうと思ったのですが。
市街地を走れば、当然その分時間はずれ込みます。
到着したのが8時40分。
「店まで買いに行って乗り場に行くのに、ギリギリじゃねえか!Σ(゚д゚;)」
…初っ端からこんなんで大丈夫か。>自分
結局走って買いに行って、戻ってきたらほんと44分とかその辺。
ゼイゼイ云いながら待つこと、5分。
…そうだよね。市街地だから、これだって遅れてくるよね…(涙)
初っ端から(略)
何とかバスに乗って、いざ佐土原へ。
宮崎市内(宮交シティ)からだと、20分くらいですか。
あんまり聞き慣れない地名に、ちょっとワクワクしながらバスに揺られる。
そして佐土原中前にて下車。
――が。実はここからが難しい。
と言うのも、「跡」で分かるように、この天昌寺は廃仏毀釈の
あおりを受けて、今は廃寺なんですよね。
なのでグー○ルで探しても載ってないの(※管理人調べ)
過去に行ったことのある人のブログ何かを参照に、
「佐土原中学校の近くらしい」って情報と写真だけを頼りに下車。
バス停に降り立った時点で、どこに中学があるのか分からない(ヲイ)
「あるぇー?調べたらこの路線筋のはずなんだけど…」
駐在所あったから聴こうかな、と思った矢先。
犬の散歩中の地元の方に遭遇。聞いてみると、反対方向。ぐは(爆)
「島津さん…前島津(家久・豊久時代をこういう)のお墓の場所を探してるんですが…」
「ああ、分かりますよ(^▽^)」
親切な女性で、途中まで一緒に行ってくれました。佐土原の人は優しい…!
佐土原中学校さえ見つかれば、ほんとすぐ其処でした。
一瞬「え?この路地?」って思うくらい狭い路地を抜けてくと、
普通のお墓。でもその傍に「前島津の墓→」という看板。
「墓地(と言うほど広くもないんですが)を横切ってくのか…」
一抹の不安を覚えつつ、足をそちらに向ける。
此処で重要なのは、この家久訪問旅(違)が、私一人での行軍だと言うこと。
普通に怖いんですが!(苦笑)
まぁ嘆いても仕方ないので、そのまま矢印に沿って山道…というか、まぁ、うん。
結構傾斜の急な山道(としか言いようが…)を登って、天昌寺跡に到着!
きちんと一礼して、墓碑の前へ。
一際大きい墓碑が四つ並んでいて、左から家久さん、豊久さん、奥さん、お母さん。
此処にお骨があるわけじゃないらしいですが、それでも何だか感無量。
「漸くお会いできましたね…家久さん…」
妙に切ない気持ちになりつつ、持参した焼酎を捧げました。
豊久さん、奥さん、お母さんにも。手を合わせて、関ヶ原で亡くなった方にも一礼。
前島津について書かれた看板や、跡地を示す標なんかを写真に撮ってたら。
足音が聞こえてきて普通にビビる(笑)
やってきたのは、どうやら役場の方らしい。
此処の手入れ(というか掃除?)にいらっしゃった御様子。
廃寺だから誰も世話しないのかと思ってたけど、奉納されていた手拭いに
「平成24年、6月」って書いてあったので。結構頻繁に誰かがお世話しているのかも。
まして6月は、家久さんが亡くなった月だし。
「島津家のゆかりの方ですか?」って訊かれて、凄く気まずい。
ただのミーハー観光です、と言うようなことを答える自分が、ちょっと恥ずかしい(苦笑)
佐土原って、結構歴史的有名人とゆかりが深いんですよね、とか。
(大坂の陣の木村長門守重成さん。佐土原が生誕地と言う伝承あり)
何か今、家久、豊久のブーム来てるみたいですね、とか。
そんな話をして別れました。
…お仕事の邪魔してすみませんでした…(--;)
途中、何故か民家の庭(?)に白ヤギが居て。
それが妙にシュールでした(笑)
次に続く。
佐土原へ!!
本当は15日(関ヶ原:豊久さん命日)に行きたかったんですけども…。
天気予報を見ると雨の様ですし。台風の影響も怖かったので
無理くり平日にぶっこみました。
ええ、愛の為ならちょっとくらい無理しますよ。ははは…( ̄▽ ̄)
そんなわけで、感想と思い出を刻みます(笑)
長くなるのでいくつかに分けますね。
本日は天気良好。
起床5時半でもめげませんよ。ちゃんと起きました(爽微笑)
や、車で行ければいいんですが、運転に自信が無いので
バスにて行くことに。
でもそうなると、6時51分のに乗らないとダメなんですよね。
時間的猶予も考えて。
8時45分宮交シティ発、西都行きのバスに乗車予定。
時刻表通りなら8時28分着なので、余裕余裕。
…しかし。
こんな朝早い便であっても、5分遅れてきたバス。
今後の予定を考えると、ちょっと不安が脳裏をかすめました。
最初に行くのが天昌寺跡。
家久さん、豊久さん、家久夫人、家久母堂のお墓と、
関ヶ原で戦死した方のお墓があるのです。
お宅(違)の佐土原城に行くのだから、まずは御挨拶するのが
礼儀だろう――そう思ったので、最初は此処をチョイス。
その際、「手ぶらで行くのもなんかなぁ…」と思った私。
「花だと枯れた後の処置に困るだろう。――そうだ!家久さんは
きっと酒豪だから(※9/7の日記参照)、お酒にしよう!」
それでワンカップの焼酎を買っていくことに。
しかも出来るだけ故郷に近いのが良かろうと、都城で作ってるやつを。
「それなら中身だけ捧げて、空のカップは持って帰ればいい。
ゴミも出ないし一石二鳥(^▽^)」
そこでバスの待ち時間を利用して、買っていこうと思ったのですが。
市街地を走れば、当然その分時間はずれ込みます。
到着したのが8時40分。
「店まで買いに行って乗り場に行くのに、ギリギリじゃねえか!Σ(゚д゚;)」
…初っ端からこんなんで大丈夫か。>自分
結局走って買いに行って、戻ってきたらほんと44分とかその辺。
ゼイゼイ云いながら待つこと、5分。
…そうだよね。市街地だから、これだって遅れてくるよね…(涙)
初っ端から(略)
何とかバスに乗って、いざ佐土原へ。
宮崎市内(宮交シティ)からだと、20分くらいですか。
あんまり聞き慣れない地名に、ちょっとワクワクしながらバスに揺られる。
そして佐土原中前にて下車。
――が。実はここからが難しい。
と言うのも、「跡」で分かるように、この天昌寺は廃仏毀釈の
あおりを受けて、今は廃寺なんですよね。
なのでグー○ルで探しても載ってないの(※管理人調べ)
過去に行ったことのある人のブログ何かを参照に、
「佐土原中学校の近くらしい」って情報と写真だけを頼りに下車。
バス停に降り立った時点で、どこに中学があるのか分からない(ヲイ)
「あるぇー?調べたらこの路線筋のはずなんだけど…」
駐在所あったから聴こうかな、と思った矢先。
犬の散歩中の地元の方に遭遇。聞いてみると、反対方向。ぐは(爆)
「島津さん…前島津(家久・豊久時代をこういう)のお墓の場所を探してるんですが…」
「ああ、分かりますよ(^▽^)」
親切な女性で、途中まで一緒に行ってくれました。佐土原の人は優しい…!
佐土原中学校さえ見つかれば、ほんとすぐ其処でした。
一瞬「え?この路地?」って思うくらい狭い路地を抜けてくと、
普通のお墓。でもその傍に「前島津の墓→」という看板。
「墓地(と言うほど広くもないんですが)を横切ってくのか…」
一抹の不安を覚えつつ、足をそちらに向ける。
此処で重要なのは、この家久訪問旅(違)が、私一人での行軍だと言うこと。
普通に怖いんですが!(苦笑)
まぁ嘆いても仕方ないので、そのまま矢印に沿って山道…というか、まぁ、うん。
結構傾斜の急な山道(としか言いようが…)を登って、天昌寺跡に到着!
きちんと一礼して、墓碑の前へ。
一際大きい墓碑が四つ並んでいて、左から家久さん、豊久さん、奥さん、お母さん。
此処にお骨があるわけじゃないらしいですが、それでも何だか感無量。
「漸くお会いできましたね…家久さん…」
妙に切ない気持ちになりつつ、持参した焼酎を捧げました。
豊久さん、奥さん、お母さんにも。手を合わせて、関ヶ原で亡くなった方にも一礼。
前島津について書かれた看板や、跡地を示す標なんかを写真に撮ってたら。
足音が聞こえてきて普通にビビる(笑)
やってきたのは、どうやら役場の方らしい。
此処の手入れ(というか掃除?)にいらっしゃった御様子。
廃寺だから誰も世話しないのかと思ってたけど、奉納されていた手拭いに
「平成24年、6月」って書いてあったので。結構頻繁に誰かがお世話しているのかも。
まして6月は、家久さんが亡くなった月だし。
「島津家のゆかりの方ですか?」って訊かれて、凄く気まずい。
ただのミーハー観光です、と言うようなことを答える自分が、ちょっと恥ずかしい(苦笑)
佐土原って、結構歴史的有名人とゆかりが深いんですよね、とか。
(大坂の陣の木村長門守重成さん。佐土原が生誕地と言う伝承あり)
何か今、家久、豊久のブーム来てるみたいですね、とか。
そんな話をして別れました。
…お仕事の邪魔してすみませんでした…(--;)
途中、何故か民家の庭(?)に白ヤギが居て。
それが妙にシュールでした(笑)
次に続く。